上海と北京、大連と汽車で旅行に行った時の思い出を少し書きます。

そのときに、私は失業してまして、ちょうど、その暑かった4月に、中国に半月程旅行に行ってきました。上海から汽車で北京へ、ひとまず行きました。上海は大阪のように暑かったんやけど、北京に行くと寒くて、そのときは丁度、厚着の格好はまったくしてなかったので、寒くて寒くて震えてました。

その旅行には、同じときに失業してた旅行友達と一緒に行ってたんで、なにかと割安になって助かりました。
上海から北京までの移動は汽車で行ったんですけど、丸1日かかりました。硬臥に乗って中国人の様子を観察しながら旅してましたが、中国人の夫婦はよく喋る喋る、旦那さんも優しいし日本の夫婦とはちょっと違いましたね。
こんな日記を書くとは思わんかったから、そのときのことなんか、メモしてたらもっと具体的に書けるねんけど、詳細な記憶は忘れてしまうからもったいないですね。

北京に着いて、宿をすぐに探して紫禁城に行ったことなかったので、そのまま直行で見学に行き、紫禁城では、工事中の所などあり、なんか変なところに入ったりして、探検しながら見学して、高台のとこに登って、上から紫禁城を見てました。
紫禁城を出て、とにかく腹が減ったので、どこでもいいからレストランを見つけて入ることに決めて探してたら、ちょうど良いことにありまして、なんも見やんと入ったのが、そもそもの間違いでした。

そこはなんと四川料理の店で、注文した品物全部辛くて、寒いのに関わらず友達はビール、飲みまくって、俺は1.5リットルのコーラ、全部飲んで、その日の夜から、トイレに入ったり出たり、お笑いみたいな、思い出があります。

みなさん、中国のレストランへ入るときは必ず、よく見て入りましょう。

その日の夜食は王府井の西にある夕方になると出る屋台を見てまわって、そこで、担担麺を食べました。
担担麺はそんなに辛くもなくおいしく食べましたが、二人は、激辛恐怖症になってしまって、食欲が一気になくなってしまいました。

この北京での私の目的は、妹の旦那から頼まれてた、毛沢東の腕時計を買う事が私の使命になってて、これがまた、無いんよ。
やっと見つけて、必ず手に入れやんとアカンかったから、そこそこ値切って、買いましたけど高い買い物でした。

ついでに、懐中時計も買って一緒に土産にしました。
そんなんで、私は北京についてはいい思い出がありません。さっぱり、でした。
北京でのホテルはバスとトイレつきの必要最小限の部屋で一泊して、次の日は旅行友達の友達の友達が(なんかややこしいけど)伊藤忠に勤めてて、そこまで予約してもらってた、汽車のチケットをもらいに訪問していざ北京駅にというとこがチケットを良く見ると北京西駅になってるから、急いでタクシーで西駅へ向かっておさらばしました。

北京から汽車の乗って大連へ移動しました、大連に到着したときには、雨が降ってまして、ついでに風も強くて、傘さしてても、なんの役にも立たないくらいでした。
友達は何年か前に大連にいってるから、まぁ、地理も簡単だし、予約してるホテルもすぐ見つけれるやろうと考えてましたが、道が通れなくなってたり、ビルが建ってたりして、街の様子が一変してたそうです。
なんとか無事ホテルへ到着してびっくり、自分ら2人には似つかわしくない立派なホテルで、2人で、このホテル高いんちゃうんと、顔を見合わせまして、チェックインした次第でした。
その日は、疲れたんで、そのまま寝ることにしましたが、その日の夜から、私は、えらい咳に悩まされることになりました。もともと気管支が弱い私ですが、この旅行に行く前に少しばかり、釣りの網を作ってる会社でバイトをしてて、そこの網の埃で喉をやられてたらしく疲れも重なって夜中じゅう、咳込んで熟睡できずに、あくる日も何もせずにホテルで寝てました。

友達も最悪ですね。夜中じゅう、咳込んで、きっと寝れなかったんちゃうやろか?
友達の大連の中国人の友達の家に遊びに行く約束で私は仕方なく出かけましたが、咳はその間ずっと、止まらず、帰り際に、中国人の友達が、咳止めの薬を、薬局で買う事にしょうと言ってくれて買いました。

あの甘い液体、よく小さい頃に、風邪で咳込んでたら、飲んでた、あの、名前度忘れした。あの懐かしい味でした。
とにかくホテルへ、私だけ帰って、2人は、大連の街へと消えていきました、どこに行ってたのやら・・・。
その薬が効いたのか、久し振りの熟睡で朝を迎えてホッとしました。

咳込んでたのがようやく収まったんですが体調は最悪、しんどいし食事が喉を通らないから、まともな食事が出来へんで、体重が3キロ痩せました。
大連はこじんまりした街で、大連駅は東京の上野駅にそっくりに作られてます。駅舎にはイトキンの看板がでかでかとあったのがすごく記憶に残ってます。

大連に着いた日やったでしょうか。勝利広場ではカラオケ大会のようなことをやってて、日本で言えば喉自慢みたいな事を野外のステージでやってました。
終った後もしばらくは、そこで時間つぶししてました。露天みたいなとこがあるから見に行かへんかといわれて行くとこれも以前とはちょっと規模が小さくなってるとのこと、小物とか、本とか、売ってて、ちょうど爪切りがなくて、値切って遊びながら爪切りを購入しました。
切れ味より、小ささを求めてたけど、実際使うとなるとこれがまた切れない。
買ったけど、結局使い物にならないから、安物買いの銭失いになってしまいました。
ずっと、その露天を抜けると、路面電車が走ってるではありませんか。思わず珍しいので写真に収めました。

この旅行で、気がついたのですがホットと冷水のミネラルウォーターがホテルに、置いてあるのを初めて見ました。
でかいタンクが上についてて、ミネラルウォーターを出して、水が減ると、「ゴボゴボゴボ」と給水されるんです、それがまたやたらとでかい音で、夜なんかその音がすると、えらい不気味に聞こえるんです。

すっかり良くなってないけど、食べないことには、回復しないので無理やり食べることにしましたが、また連れてってくるとこが、衛生的に?なような店で、羊の串刺しと、イカの焼いたのを食べたんやけど、そんなん喉通るかぁ、ホンマしんどいのにと思ってしまった。
夕食後に、夜の大連を歩いてたら、やたらと人が多いとこに出くわしました、それはなんとタイタニックが上映されてるんじゃありませんか。

思わず友達と見てみようかなぁという話になってたんやけど、友達いわく、「ちょっと待てよ、おれら、もうすぐフェリーに乗って上海に帰るんやな」おいおいおい、これはアカンでーと言う話になりました。
なんか、フェリーで帰るのに沈没したらシャレならんでということで、結局見るのを諦めてしまったという話でした。

タイタニックを見るのをあきらめた翌日に、2日後に上海に帰るのに、フェリーの乗車券を買いに切符売り場を探しに歩いていくこと30分くらいやったかなぁ。

大連港務局?(名前がうる覚え)に着いて切符を買うことにしたんやけど、買い方がわからず、先にどうやって買うのかしばらく中国人の様子を見てて、それから買うことにして、友達が窓口に行って買おうとしても言葉が通じなくて、結局はじき出されたような感じで、あきらめたみたいでした。

そうこうしてるうちに、天井のほうに、モニターテレビがあるん、気ついて、上海行きの船を捜すことにした。それで、長柳という船があったから、紙に書いて窓口に出すと、この船は、おれらが乗る日には出航しないと、(たぶんそんなようなこと言ってたと思う。)言われて、慌てて、すぐにモニターテレビを見て、上海行きの船を探して、中原というフェリーに乗船することになりました。

日本と中国のシステムが違うのと、言葉がわからないのもあって、切符買うのにえらい時間がかかってしまいました。
これで一応上海まで帰れるんで、一安心して、友達とそのあと飯を食いに行きました。

大連から上海へ戻る時の事をあいまいな記憶ですが書いていきたいと思います。
旅行友達と、上海へ向かうフェリーに乗船するためにホテルを出て2人してデカイ荷物を持って港を目指してトコトコと歩いているときに友達が親子連れに追いかけられ必死で逃げてまして、思わず私は、大笑いしてて手にしてたカメラで、笑いをこらえながらシャッターを切りました。

なんとか友達はその親子連れから逃げ出して、息を切らしてたので、私は一言、「今のんカメラに写したでー」友達は嫌なもの写されたと後悔してるようでした。
そこで一言、「外国では自分からおもろいところに飛びこむな。」
そんなこんなしてるうちに、フェリー乗り場に到着してみると人、人、人。人だらけいったい自分たちの乗るとこはどこなん?

バッグを置いて、偵察活動開始。んー、見てもわからん。戻ってみると、勝手がわからないので自分たちのバッグを置いてるとこがへんなのか中国人がなんか俺たちを見てんなぁと・・・。
そりゃ、そうや、通路に置いてんねんから変な、顔しながら行くやん。

次々と乗船時間が近づいてくると、みんなそれぞれの乗る船目指して大移動していく、それを見ながら、自分たちの乗る船の乗船口の前で一時の休息を取ることにしてドカッとベンチに腰掛け物思いにふけってました。

フェリーは定刻通りに乗船でき私たちは、優雅に2等に乗りました。
やっぱり個室はいいなぁ。と2人で納得しました。
出航の時間、バッグの整理もそこそこにして、いざ甲板へ、夕日がものすごく綺麗で旅をしてる醍醐味を味わいつつ、大連よ、さいなら。と思う私でした。

大連を出航したフェリーは揺れも少なく快適に乗ることが出来ました。
乗船してすぐ、なにやら人だかり、何があるんかと覗きこむと食堂の食事のチケットを売ってるようやん。
前に黒板があって、なにやら漢字で書いてるねんけど、字が判別出来へん。
この字は見た事ない、なんや???
わからずじまいで、そうこうしてる内にチケット販売終了。その日は食事にありつけませんでした。

仕方なく、いざという時に買ってた、パンを夕食代わりにしてしまいました。
あくる朝起きてビックリ、窓から外を覗くとバッタリ中国人と目が合ってしまった。良く見ると、通路には多くの中国人が寝てるじゃありませんか。
どっからこんなたくさん出て来たん?乗船したときこんなに居たっけ?
目が点になってしまいました。

今日はぜひとも食事にありつきたいと考えた作戦は、一人はチケットを買う役目で、一人は、わからん漢字を真似して控えるという作戦に出た。
それが上手く行って食事にありつけた。でも出てきた食事は自分たちが想像してたのと全然違うのが出てきて、これはどのメニューのかと考えてしまいました。

料理の漢字も読めないへんてこりんの漢字で書かれてあるし、訳わからんから私は、売店で売ってる、カップラーメンを買って食べました。
味はなかなかのもん、日本で売ってるカップラーメンとそんなに味はかわんなかった。
ちょっと辛いくらいかな。
私はカップラーメンで満足してましたけど、友達がホカ弁みたいなのを買ってきて、これ、安くてなかなか味がいいでぇと一回食べてみました。ほんならこれがまた行ける、おいしいやん。

夜はこのホカ弁みたいなのを買って、栄養補給。おれらはこれを盆飯と呼んでた。(こんなような字やったから。)
個人旅行でしか味わえない経験をして上海へ戻ってきました。
フェリーから下船して、いざ向かうは浦東地区の中国の友達の近くのホテルへ。
今回は友達が中国人の結婚式に出席するためにスーツを日本からわざわざ持ってきてるみたい、結婚式場は、私たちが泊まるホテルの2階でやるようです。
私は上海に戻ってきてからも体の調子が悪く1人ホテルで、休む事になりました。

上海で1人ホテルの部屋で休んでた私は、相変わらず体調は最悪、でもせっかく来たんやから行きなれた南京路へ買い物をしに出かけました。
今までは単純な買物しか1人でしてなかったんで、今回はちょっと複雑な買い物をしょうとぶらぶらしてました。

中国に何回か来てると衣料品なんかは現地で調達する事にして、替えのジーパンを持って来てへんかったんでずいぶん汚れてた事に気づき、急きょジーパンを買ってみようという事にしました。
南京路のとあるジーパンやさんがえらい流行ってたみたいやので、どんなんか入ってみる事にしました。

店内に入ると中国のおねーさんがなんか語りかけて来はるやん、たぶん何が要るのかとか訊いて来てるんやろけどこっちは殆どわからんわ。
ほんで自分でめぼしいのを見てると、なんと、ウエストのサイズが、えっ!書いてるサイズがセンチでもインチでもないやん、「なんちゅうこっちゃ」こんなんやったら、自分で見つける事出来へんやんか、戸惑ってしまった。

しゃーない、おねーさんを呼んで身振り手振り、ストーレト、はどこや?そんで次はウエストのこと伝えるとメジャーではかられてしまった。へんなサイズに思わず、指差して、この数字ほんまかいなて言うジェスチャーして訊いたら、そうやとの答え、また質問して今度は裾上げしてくれるんかと?

ほんなら問題ないとのこと、時間はどれくらいか?30分くらいなどなど、おもろいやり取りしてました。

いざ、ホンマか試着室に入って穿いてみる、「ありゃ、ウエストもぴったり、裾もぴったり」なんか不思議な感じでした。

試着室からでて店員さんのおねーさんに見せると、みな笑顔、裾上げもしなくていいやん、ぴったりと言うのが雰囲気で理解った。
俺は笑顔で支払い、ブランドもんのジーパンらしくちょっと高かったけど、面白い経験やったからいいとしよう。


この話は以前ジオシティーズでホームページを作ってた時にアップした日記をつなげあわせただけです。
詳細な記憶は今はこの日記を見てあの時こんなんやったとか思い出してる次第です、もしみなさんも旅行に行く時は日記をつけとけば後々の体験談として、いろんな場面で披露出来るかもしれませんね。

上海、北京、大連旅行